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カッコがあるのが好み|613

  • 佐藤勤
  • 2015年10月7日
  • 読了時間: 4分

すっかり涼しくなりましたね。

薄着で出かけることに躊躇する時期になりました。

10月になった感じが急にしますね。

先週、今週が運動会のピークらしいです。

確かに、そんなそわそわした子供たちを見かけます。

もっとも、大人とは違い、一年で随分と成長してくれます。

驚きと同時に頼もしさを感じさせてくれます。

彼らはどんな未来を迎えるのでしょう?

僕が子供のころには、日常的に「未来」が話題になっていたように思います。

未来の交通手段や未来の都市、未来の生活。

便利で豊かな素晴らしい未来像ですね。

それでも、ロボットやコンピュータに対する警鐘はすでにありました。

2045年問題の提示ほど深刻ではありませんが……。

高度経済成長期だったことがあるかもしれません。

あるいは戦後復興から成長期に移ったと実感し始めた時期でしょうか。

技術力が世界を変えていく予感があったのかもしれません。

大阪万博があったり、アポロが月面着陸したりしました。

四つ脚のブラウン管テレビに黒電話の世界です。

多くの家の玄関は引き戸で、日中は鍵がかかっていませんでした。

当時、中学の学祭の出し物で偉人の胸像をつくるという企画がありました。

まったく誰が考えたんでしょうか?

僕らのクラスはアームストロング船長をつくりました。

アポロ11号の船長の彼による「人類の大きな一歩」は名言です。

ヘルメットと一体化した顔は不気味な迫力がありました。

髪を作らなくてよいというのが先行理由だったように記憶しています。

未来はかつて輝いていました。

都市には青空のもとホバーな乗り物が自動運転で運用されます。

宙に浮く見たことのない形のビルは、緑と笑顔に溢れています。

みなさんもそんなイラストを目にしたことがあると思います。

それは、今の都市が未来には完全に消去され改変されるというビジョンでした。

もちろん建築や都市の専門家によるものではありません。

それでも、そこには時代の空気としてみなの思いが投影されていたでしょう。

今の都市は、徐々にスクラップ&ビルドから変わろうとしています。

メンテナンスをし、手を入れながら使い続ける社会になってきました。

持続可能な社会。

街を歩くと、必ずといっていいくらい足場の掛かった建物を目にします。

大規模な修繕をしながら都市に活力を注ぎ込もうとしています。

それは、未来都市のイラストのようにつるつるピカピカではありません。

ありませんが、そのアナログな感じは穏やかで人を脅かしません。

足場には人がうごめき、数週間後にはさっぱりした姿を見せてくれます。

新しい未来像は、すべてがデジタルかつ投機的である必要はありません。

間違いは修正し、その修正に寛容さを示せる社会であってほしいと思います。

過去を笑顔で修正することで得られる明るい未来。

建築は明るい未来に向かい始めています。

僕はリフォームやリニューアルの仕事をするときにそんなことを思っています。

あんまりつるつるピカピカじゃあなくて、穏やかなもの。

全部変えちゃうんじゃあなくて、優しいもので許しながら暮らす。

「人」と「人類」を言い間違えたとされるアームストロング船長。

いろいろと逸話のある方ですがなんだか好きです。

「冠詞の a の前後に括弧をつけられるのが好みだ」とし、

「もし仮に間違っていたとしても、歴史が私の言い間違いを許す寛容さを持ち、人類が一つになる方向に向かって進むことを希望する」と……。

彼でなくとも許し許される社会の方が、よいように思います。

もっとも自分の髪を切って売りに出した理髪店主を訴えたりと、

彼はもっぱら許しを請うのが得意だったようですが。

 
 
 

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